Identity
Personal

Life goes on

2021-12-03 18:00

誕生日は、とても大事にしていた日のはずなのに、今年は、「自分の誕生日なんて」って思ってる自分がいた。 別に年齢を取るのが嫌なわけでもなくて。

価値観が変わっているのかなと思っていたら、誕生日前日の朝に親からの花束が届いて、一気に誕生日モードになった単純な私だった。時差の関係で、誕生日の一日前から日本からの誕生日メッセージが送られ始めると、そのあたたかさと多さに泣きそうになった。

アメリカに引っ越してから、友達が恋しくて仕方がなかった分、フェイスブックのフィードに流れてくる日本語、英語、ロシア語、フランス語のメッセージが、本当に本当に嬉しくて。

SF1

もともと、今年の誕生日は、一人で過ごす予定だった。誕生日パーティーが好きで、いつもは、引っ越し直後の新しい土地でも構わずに、新しい友達を呼んで企画する私なのに、何故か祝う気になれなかった。

そんな時、誕生日の4日前に、家族同然の友達がサンフランシスコに来ていると聞いて、急遽、飛行機とホテルのチケットを取った。

サンフランシスコは特に好きな街でもなく、飛び立つときは、行き先よりも、本音で語り合える友達に会えることにわくわくした。 行き先がサンフランシスコということが特別な意味を持つとは思いもしなかった。

ホテルは、Booking.comが無料アップグレードを用意してくれていて、かつNikkoという日本っぽい名前という単純な理由で適当に選んだ。

空港についてホテルまでの行き先を調べると、地下鉄で一本。Powell Streetという最寄り駅についてハッとした。小5の時に成田からサンフランシスコについてすぐに連れて行ってもらったケーブルカー乗り場が駅の出口にあった。ケーブルカー乗り場で並んでいるときに買って、「アメリカのSサイズは日本のXLサイズ!」とかはしゃいでいたBurger Kingまでそのまま残っていた。

小5の時に初めてアメリカに短期語学留学に来た時、将来自分がアメリカに住んでいて、ここまで成長しているとは、10歳の私には想像もできなかった。

無性にケーブルカーに乗りたくなった。


英語の先生と、彼女の生徒3名と、初めてアメリカに来た小5の短期語学留学は、私にとって特別なものだった。行きはサンフランシスコで、帰りはロサンゼルスで観光しつつ、その間は、アイダホ州でホームステイをして英語力を磨いた。

今思うと、あの旅は私の基礎を形作ったのだなと思う。

初めて3週間も親から離れたため、最初の1週間はほぼ毎日、泣きながら親に電話した。スカイプもフェイスブックもない時代だから、テレフォンカードにお小遣いの大半を使ってしまった。でも、そのおかげで、自立心が身に着いたのか、最後の1週間は、帰りたくないとか言い出していた。

最初、ホストファミリーのもとに連れていかれたとき、「Where can I put my umbrella?」と入口で尋ねたら、英語が上手ね、って褒められたはずなのに、その直後、ハム太郎のアニメを一緒に見始めたら、何も聞き取れなくて焦った。でも、帰り間際にモールに行ったときは、ホストファミリーの娘さんと「Cool!」を連発しながら一緒にショッピングできるくらい英語力がついていた。

もちろん、3週間で英語が流暢になったわけではない。でも、今まで教科書だけで学んできた英語を実際に使ってみたことで、英語が楽しくなって、そのあとの上達が圧倒的に早くなったのは間違いない。

イエローストーン国立公園に行ったときは、アメリカの広大さに圧倒された。日本では見たことのない規模の自然が広がっていた。

他の生徒3人と共同生活をする場面では、行きたい観光先が合わなかったりと、一人っ子だった私はなかなか苦労した。でも、10歳の子供にして、世の中が自分を中心に回っているわけではない、という事実を発見できた。

上限があったお小遣いで家族、友達、そして自分にどのようにお土産を買うか丁寧にやり取りしなければいけなくて、お金の扱い方を学んだ。


今年、誕生日の当日に、はじめてアメリカについた日と同じように、Fisherman's Wharfでパンに入ったクラムチャウダーを食べて、Pier39でアシカをみて、ケーブルカーに乗って、15年前の記憶が鮮明にフラッシュバックしていた。

と同時に、今年の6月にアメリカに引っ越して、この5か月間、たくさん悩んできたことを思い出していた。

18歳で大学に行くためにフランスに引っ越したときには新しい世界が見たくて仕方がなかったのに、社会人になってからの4年間、日本で自分で築いてきた基盤があったせいか、今回の引っ越しは、日本への名残惜しさがあった。

日本で築いてきたものを敢えて日本に置いて、ゼロからアメリカで挑戦する決断をしたのは、自分。

それでも辛かった。

シアトルに元から知っている友達は0人。コロナの中での引っ越しだから、リモートワークで、仕事の同僚とも会えない。仕事のタイミング的にチームメンバーとたくさん意見がぶつかった時期でもあった。

アメリカはビュロクラシーの国。アドミ系の作業に気が遠くなった。2週間の隔離があるから、日本に一時帰国も簡単にはできない。常にエンジン全開で、止まることを知らなかった私が人生で初めて鬱になった。

大好きな仕事にも、何にも手がつかなくて、仕事をしていないときは、大抵寝ていた日が続いた。

友達や同僚に話を聞いてもらいながら、時間に身を任せて、気持ちが楽になるのを待った。

すると、気が付かないうちに、仲良しグループができたことがきっかけで、霧が晴れていた。

頻繁にイベントを開催していた、いくつかのフェイスブックグループに追加してもらってはいたものの、誰も知らない環境に飛び込むのが怖くて参加していなかった。東京で頻繁に参加していたミートアップとは雰囲気が違って、受け入れてもらえない気がした。

勇気を出して、外でバレーボールをするイベントに参加したら、みんな意外と優しくて、中学で休み時間にバレーボールで遊んでいたせいか、バレーボール自体も意外と出来て、数名と一気に仲良くなった。

友達って大事。

マイクロソフトの大半の人が休みを取る、かなりスローペースな8月も終わり、夢中になって仕事をする日が増えて、気が付いたら朝の2時まで仕事をしていた瞬間に、「あ、いつもの私に戻ってる」と思った。渡米して4か月が経っていた。

矛盾しているように聞こえるかもしれないが、様々な賞やアワードをいただくと、自分のやっていることを社会に証明する必要が無くなる錯覚に陥り、自分と向き合わざるを得なくなる。

自分探しをしているタイミングで、自分が何を大事にしていて、何が好きなのかが、少しずつ見えてきた。 友達に求めるもの、パートナーに求めるもの、ワークライフバランスに求めるもの、外資系大企業とアフリカのスタートアップを両立し続けたい理由など。

年末は丁寧に振り返る習慣があるのだが、2020年末の振り返りを誕生日のタイミングで読み直して、この一年間、特に後半の半年で数年分賢くなった気がする。

25歳の抱負は、アイデンティティ頑張って、下手に絞り込もうとせずに、やりたいことやって、好きな人たちを大事にすること、だった気がする。

どんな26歳にしたいんだろう。

アイデンティティは絶対頑張る。最近、規格を書くのが楽しくて楽しくて仕方がない。アイデンティティの奥深さに触れて、新しい学びの連続にどんどん引き込まれてしまっている。

ザンビアのNGOとスタートアップは、もっともっと成長させたい。組織の規模が大きくなるにつれて、新たな課題にもでてきているのだが、確実に、目に見える形で、インパクトを出せていることが楽しくて仕方がない。誰かの人生をよりよくできている、というやりがいに変えられるものなんてなくて。

あとはめんどくさがらずに、積極的に新しい人に会いにいく。自然にできていたことのはずなのだが。シアトルで友達ができないって言ってはいるものの、友達を作るために全力を尽くしているかというと、もっとできることはあるので。

アクションプランしか頭にないので、爆走し続けるクリスチーナにご期待ください。

Life taught me one thing, that it goes on.

SF9