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第2次世界大戦終戦 75周年に寄せて

2020-05-08 15:00

私の世界観に多大な影響を与えた、一生忘れられない、小学校の授業がある。

先生:「第2次世界大戦が終戦した年、わかる人~?」

私:「はい!1945年!」

先生:「正解。クリスチーナちゃんすごいねぇ。じゃあ、終戦が何日だったかわかる人?」

私:「5月9日!」

クラス全体:「(沈黙)」

先生:「違います。8月15日です。」

もちろん、日本では、日本政府がポツダム宣言の受諾を国民に公表した1945年8月15日が「終戦の日」です。 一方で、ロシア及び欧州の大半の国では、ソ連がベルリンに入場し、ヒトラーのナチス党を破った1945年5月9日が第2次世界大戦の終戦記念日となっています。

私が日本の小学校に通いながら、放課後や土日を使ってロシアの小学校の遠隔教育も受けており、第2次世界大戦について先にロシアの教科書で学んでいたために生じたエピソードだったのですが、歴史が各国のアイデンティティの根幹にあることを学んだ瞬間でした。

小学校高学年で「はだしのゲン」に読みふけていたと同時に、夏休みにロシアを訪れるたびに世界大戦に関する本を飲み込むように読破していました。 主観的になってしまいますが、第2次世界大戦が、ロシアの国としてのアイデンティティにしめる割合が日本よりも大きく、教科書の外でもロシアの文脈で第二次世界大戦に触れることが多かった、という印象も受けています。 いずれにしろ、この時の発見以降、各国が歴史を統治のツールとして如何に使い分けているかを意識するようになりました。

コロナの影響もあり、今年は、5月9日の週をロシアのテレビが閲覧できる実家で過ごすことになり、かつ海外で一番有名なソ連評論家のVladimir PoznerによるParting with Illusionsを読んでいることもあり(この本にいまかなり考えさせられているので別途記事書きます)、ロシアと第二次世界大戦について構想する機会があったので、つらつら書いてみます。 日本では太平洋戦争について学ぶと思うので、ヨーロッパ側の見解は新しい発見があるかもしれないので、ぜひお付き合いください。

ロシアにおける終戦記念日の重要性

ロシアでは、軍のパレードや数々のショーなど毎年5月9日、終戦記念日が盛大に祝われます。2019年のパレードの様子はこちら

その原因の一つは、第二次世界大戦における勝利が全国民、全国土を巻き込んだ壮大なものであったことにあります。 以下に第2次世界大戦各国戦没者数を記載していますが、2150万人というソ連の戦没者数が他国の比でもないくらい多いことが一目瞭然だと思います。

WW2

ソース: https://honkawa2.sakura.ne.jp/5227.html

ドイツほど産業化も進んでおらず、戦争に向けた準備もしていなかったソ連は本当に体当たりでナチスに勝った一面もあります。 特にナチスから突然攻撃された1941年、ソ連兵はまともな防具もなく戦っていました。 「カミカゼ」に似たロシア語の言葉を私は知りませんが、限られた銃弾しかないのにドイツの戦車に向かって体当たりしていくソ連兵はまさにカミカゼのようだと思います。

しかも上記の数は、スターリンがソ連が受けた本当のダメージを他国から隠すためにわざと少なく見積もっていたと言われているため、実際はさらに多くの死者が出ている可能性が高いです。

私のロシア側のおじいちゃんは、第2次世界大戦が始まった時、6歳でした。 彼が住んでいたクリミア半島は、1942年から1944年の間、ナチスに占領されており、彼のお父さん(私のひいおじいちゃん)はナチスに殺され、彼のお母さん(私のひいおばあちゃん)は、毎日ナチスのための労働を強いられていました。労働を拒否したり、手を抜いた瞬間に射殺されたそうです。

歴史は勝者によって書かれたもの

フランスが降伏し、ほぼ全ヨーロッパがナチスの支配下にあった中、1942年以降のヨーロッパにおける戦場の大半はソ連国土でした。

先ほど戦没者数のグラフを載せましたが、戦没者以外の損害もソ連が一番ではないかと言われています。GDPの1/3以上を失い、1,700以上もの街が破壊され、40,000以上もの村が焼かれ、2,500万人以上もの人が宿を失いました。 ドイツ兵が占領したロシアの村で行っていた虐殺は日本の中国本土における行いに近いものがあるのかもしれません。 本土に爆弾が一つも落ちず、ヒトラーに街一つ焼かれなかったアメリカ合衆国とは対比的ですよね。

あまり知られていない事実ですが、当時アメリカに在住していたロシア人によると、第2次世界大戦中、アメリカ国内では、連合軍の勝利におけるソ連の貢献が認識されており、ロシア人に対してかなり好意的な態度を取っていたそうです。 それが、終戦後、アメリカで冷戦開始に伴う反共産党のプロパガンダが始まったことで一転し、ロシア人に対する差別が始まりました。

終戦後も死者が出続けるソ連のパラドックス

戦争が終わって、生き残ったと喜んでいたのもつかの間、ソ連はスターリンによる粛清が再開されたのです。

戦前、ソ連の人は、ソ連の生活水準が一番高いと教えられ、日常生活における様々な我慢を強いられていました。 しかし、戦勝者であるはずのソ連軍が敗戦国のドイツに入場して目のあたりにしたのは、ソ連よりも豊かな敗戦国の生活でした。 スターリンの恐怖政治の一つの目的は、ソ連の仕組みに疑問を抱かせないための空気づくりもあったわけですが、ソ連流の共産主義よりも裕福な生活を見てしまうと自然と疑問が浮かんでくるわけです。 海外の戦場から帰ってきたソ連兵の多くは殺されるかシベリア送りになりました…

多大な犠牲を出して戦争を勝ち残った自国民を殺す時点で国の在り方として根本的に間違っていると個人的には思いますが、残念ながらそれが歴史的事実なのです。

根本的にハリウッドのアクション映画が嫌いです

政府が自国民に抱かせたい国民観の浸透の必要性がなくならない限り、その世界観を広げる強力なツールである映画業界は絶対になくなりません。

ハリウッドがいい例です。ハリウッドの一番の目的は、アメリカ政府がアメリカ国民に抱かせたいアメリカンドリームや理想のアメリカ人像の浸透が目的で作られており、そのミッションを十分以上に達成していると個人的には思っています。

大学時代に、旅行先のバルセロナで友達とアベンジャーズを観に行ったときに、人がありのように殺されていくこの映画の何がいいんだろうって本気で思いましたし、映画の中で無駄に死んでいく人達を想って泣いてしまったというエピソードがあるくらい、私はハリウッドのアクション映画が嫌いです。

ロシアの映画は政府のプロパガンダが強かったりなど、いろいろな問題はありますが、少なくとも大量の人間を意味もなく殺す、といったエピソードはありません。

日本で被爆された方もそうですが、第二次世界大戦を経験した、スターリンの粛清も生き残った方のなかで生きている方が少なくなっていることに私はすごく危機感を感じています。 コロナの様子を見ていても、第三次世界大戦が起こることはないと思いますが、第二次世界大戦の教訓が、意味もなく人を殺していく映画やゲームをやりながら育っている世代に引き継がれないことは、人間らしさを失うことにもつながると危惧しています。

そういった意味では、自国が犯した過ちを認めているドイツの度胸ある態度はもっと評価されるべきだと思います。ナチスがユダヤ人迫害に使用した標識を自身の戒めのためにいまだに街に飾っている街もあると聞いています。 ナチスの規模ではなかったものの、ほとんどのヨーロッパの国が歴史上どこかのタイミングでユダヤ人を迫害していましたし、大戦中も迫害も黙認していたという事実もあります。ドイツの対応を見ているヨーロッパ人からすると、中国や韓国に対する過ちを認めない日本の態度を理解できないのも納得がいきます。

今週観た映画たち

ということで、各映画が撮影された時代のソ連政府の意向が大いに反映されているだろうことは念頭におきつつ、以下の映画をここ数日で家族で見ていました。

ちなみに、他に私が見たい第二次世界大戦映画集

終わりに

今の世界の力関係に一番大きな影響を与えているのは、間違いなく第二次世界大戦だと思います。

あぁ、〆切が迫っている記事が2-3本あるのに、つい語ってしまった。